「自分のお店がここまで売れると思っていませんでした」大手通信会社を辞めてはじめたラーメン屋“地球の中華そば” MY SHOP STORY #002
Prologue
新年度がはじまり1ヶ月以上経ったが、新しい環境には慣れただろうか?
入社したり、部下がついたり、異動になったりと人それぞれ少しくらいは
職場に変化があったはず。
そんな周りの状況が変わった時期は、自分自身を俯瞰して見つめ直すいい機会でもある。今の仕事は自分に合っているのか、と。その仕事に対して、何か心に大きな引っかかりを感じるというのであれば、
思いっきり仕事に熱中できて、個性を生かせる職場を探してみるのも悪くない。それがなかなか見つからないというなら、自分でお店を持つという道もある。そこで、脱サラして異業種のお店を持った先輩の話を参考にしてみよう。
今回訪ねたのは、横浜のラーメン屋“地球の中華そば(ほしのちゅうかそば)”。清湯と白湯のスープベースを軸に、塩そばをはじめ、醤油そばや担々そばなど、幅広いメニューが揃う。スープから麺までのすべてを自家製に徹底しているこだわりの一杯でラーメン通たちの肥えた舌を満足させている話題のお店。そんな行列店の店主樋上さんは開業前は一般的なサラリーマンだった。
なぜサラリーマンから人気のラーメン店へと成長させることができたのか。
脱サラ理由や修行時代、開業準備や味作りなど、余すことなく語ってもらった。
“何かになりたい”という具体的な夢がなかった
—このお店をオープンする前はどんなお仕事をされていましたか?
大学卒業後、大手通信会社へ入社し、そこでSEや営業のような業務を4年間、いわゆるサラリーマンを28歳までやっていました。
—その会社を志望した理由は?
僕は文系の大学生でした。たぶん多くの文系の大学生がそうかと思いますが、何になりたいって具体的な夢がなくて。大学1年生からボクシングをはじめて、半年くらいでプロになりました。そこから、ちょこちょこ試合をしていましたが、現実的にボクシングだけで食べていくには厳しい世界だということに気づき、職業にはできないと思い……。周りが就活をはじめて自分も焦り出して、とにかく業界を選ばずに就活していました。だから、通信事業に携わりたかったという訳ではなく、内定をいただいたから入社したっていうのが正直な就職した理由です。
—熱望した仕事ではなかったとはいえ、4年間働く中でやりがいは感じましたよね?
国のインフラを担っている会社だし、どこの企業とも関われる仕事でした。特に営業をやっていた時、お客さんとの信頼関係を築けたことにやりがいを感じましたね。
—なぜ辞めようと思ったのですか?
客先から会社に戻り「自分はこれだけやりました」と社内プレゼンをして、その評価によって昇進のスピードやボーナスの額が決まるということに違和感を覚えちゃって。それが辞めた1番の理由です。僕はかつて大学4年間、ラーメン屋でアルバイトをしていたんですよ。会社の営業で評価される感覚より、自分が作ったラーメンを目の前で「おいしかった」って言ってもらえるような分かりやすい評価のほうがいいなって気づきました。だから、飲食で自分のお店を出そうと思ったんです。
—それで経験のあるラーメン屋になろうと決意したんですね。辞める際、会社の方々やご家族など周りの反応はいかがでしたか?
上司に関しては、迷惑を掛けたという気持ちしかありませんでした。大きな組織の中間管理職なので、部下が辞めるとなるとその人の評価が下がる訳ですし。実は、入社する前に離れてしまっていましたが、働きながらプロボクサーとして復帰していたんですよ。だから同期は「お前だったら辞めるだろうな」って反応でしたね。親には相談せず勝手に辞めていました。片親ですが、大学まで行かせてもらっていて。辞めたことを伝えたら「もう帰ってくんな」くらいのことは言われました。
—その確執は解消されましたか?
飲食に転職して所得が下がりましたが、それまでやっていなかった仕送りを意地でもするようにしました。親は大学に合格した時も就職が決まった時も、すごく喜んでくれていたんですよ。だから言われた訳ではないですが、仕送りをするのはケジメのような感覚。今となっては独立して細々とですが知名度が上がって、やっと親にも認めてもらった感じですね。
35歳で独立するって目標を立ててから会社を辞めた
—会社を辞める際、不安や迷いはありませんでしたか?
辞めた時点で味を作れた訳ではありませんし、ここから何年掛かるかな? って気持ちはありました。“目標に期限を設定しろ”って社会人になったばかりの時に言われていたので、35歳で独立するって目標を立ててから会社を辞めて、そこまでになんとかしようと考えました。その時点で独立することがどんなことかって、よく分かっていなかった部分はあります。だから、不安より目標とする期限までにどういうことをやっていかなきゃいけないかってことを考えながら7年間修行しました。
—その7年の間で、具体的なスケジュールは立てていましたか?
まずは、自分自信の幅を広げようと有名なラーメン屋に入って味の作り方やオペレーションなどを学びました。そのお店で2年間働き、お世話になったラーメン屋から独立するって決めていたので、そこから学生時代にアルバイトをしていた店舗に出戻りしました。学生時代はアルバイトでしたが社員として戻り、経営やマネージメントについて勉強しました。そして、たまたまですが、そのお店が新しく出店することになって責任者として立ち上げに携わる機会がありました。最終的には2店舗を統括する、店長より上のマネージャー職に就きました。その環境に偶然巡り会えたのはよかったです。
—その時期はいかがでしたか?
本当にキツかったです。10年間、1店舗だけでやってきたお店でしたが新横浜のラーメン博物館に新規出店することになって、そこの店長として異動しました。新規店舗だったのでスタッフの数が足りなかったんです。新しいスタッフを募集して育てる時間を考えると、自分で働くしかなかった。とにかく従業員がいないから休めないし、スタッフを育てなきゃいけない。今は自分のお店を持つようになって自分のペースでできるから、その頃と比べると楽ですね。独立する前にいろんな先輩から「修行なんて苦労じゃない。独立してから不安になる」って聞いていましたけど、僕の場合は修行のほうがしんどかった(笑)。でも、その経験があるから、今となってはちょっとしたことでも大したことないって思えるようになりましたよ。修行中にそんな経験ができる人って多くないし、いろんなことに対して耐性がついたのはかなり大きいですね。多少のことではしんどいなんて思わなくなりました。
—1番キツい時期を修行中に過ごしたんですね。それを続けられたモチベーションはなんでしたか?
学生時代、そのお店の社長にお世話になっていたのが理由かもしれないです。サラリーマンとして就職した後も仲良くしてもらっていて、恩を返してから辞めたいって思っていましたので。
ここのお店はまだ理想のお店にできていません
—では、この場所・物件を選んだ理由はありますか?
独立の期限を重視していて、設定していた35歳を迎えた時はまだ修業先で働いていました。ラーメン屋って開業資金は300万円準備するのがセオリーなんですよ。でも、その時点で僕は300万円にも届かず。でも35歳になっちゃったし、その時あるお金で手当たり次第に物件を探していました。そこで借りられる物件を見たら場所は選べなかった。東京23区内と横浜の物件を比べた結果、借りられたのがココでした。この土地を選んだ理由はないんです。そのタイミングで貸してもらえたのがココしかなかっただけ。だから、ここのお店はまだ理想のお店にできていません。2年後までの移転を目標にしています。
—開業資金はすべて自己資本ですか?
ここが10坪なんですけど、このくらいのキャパで独立しようと思った時、ちゃんと作り込めばお金はかかりますが、300から400万円あれば開業できます。そして自己資本が300万円あれば、日本政策金融公庫から600万円まで貸してもらえます。開業準備やオープンしてからの運用資金を考えると、そのくらいの金額は必要ですね。
—修行後の準備期間はどれくらい掛かりましたか?
オープン年の8月末に修業先のラーメン屋を辞めて、10月20日にオープンしました。35歳で独立することは社長に伝えてあったので働きながら準備をはじめて、物件が決まったタイミングで辞めました。だから2ヶ月くらいで出店できました。
—その期間中で1番苦労したのはどんなことですか?
ラーメンの味は修行中から完成していたし、やっていける自信もありました。だけどラーメン屋は重飲食なので、貸してくれる物件が少なくて探すのに苦労しました。ここが決まる前に別の物件で何件か申し込んだのに大手企業に取られたりしたこともあります。
—オープンに際して、なにかPRをしたりしましたか?
たまたまラーメン博物館で働いていたってこともあって、ラーメン博物館の人がラーメン雑誌の人に「こんな人がお店を出すよ」って教えてくれたんですよ。それでお店がオープンしていないのに掲載してもらって。だからオープンしてすぐにたくさんのラーメンフリークが来店してくれて、口コミで広がっていきました。それは本当に恵まれた環境ですね。そして、1周年の時に“TRYラーメン大賞”の“TRY新人大賞”に選んでいただきました。そういうのがあって、1年目からめちゃくちゃ売れていたって訳ではありませんが、自分で販促をせずとも知ってくれる人が増えていく幸せな環境でありがたかったです。
すべての仕込みからラーメンの調理までを僕ひとりでやっています
—1番の人気メニューを教えてください。
塩そばはオープンからずっと人気があって、賞を獲ったりメディアに出る時にお出ししたりしています。あと、うちは小さいラーメン屋にしては味の種類を揃えています。それはメニューを考案する段階で、どんな場所に出店しても食いっぱぐれない構成を考えたのが理由。あっさりもコッテリも、辛いスープもつけ麺もあります。同業者に絶対真似できないっていわれるんですよね。メニューが増えれば仕込みが増えるので。独立した年齢が35歳で絶対に失敗できないって気持ちが強かったので、どこでも誰にでも受け入れられるようにラインナップしました。
—味作りにおいても苦労しましたか?
今もそうですね。もっと先に進みたいので、タレも麺も日々同じことをしていないです。賞をもらう度にプレッシャーもデカくなるし、もっとおいしくしなきゃってずっと思っています。
—ということは、同じ塩そばにしてもオープン当初から味は変わっている?
全然違っていますよ。去年も神奈川県の1位をいただいて嬉しかったのですが、期待に応えなきゃってプレッシャーを抱えながら毎日味作りをしてやり方を変えています。ある一定以上の味を出せなくて苦労したというより、常にもっとおいしくしなきゃいけないって苦労があります。お店をやっている以上、ゴールはないでしょうけどね。
—その日々改良していくエネルギーの源となるモノは何なのでしょう?
修行時代、直属の上司だった人が東京の大塚にお店を出していて、そこは一昨年と去年、ミシュランの一つ星を獲ったんですよ。そういう偉大な先輩を見ていると、自分も負けたくないし、僕もそこまで行きたい。先輩とはいえ同じ土俵に立っているから負けるわけにはいきませんからね。それが大きなやる気に繋がっています。もちろん、お客さんがお店に来て「おいしい」って言ってくれるのが一番ですけどね。
自分のお店がここまで売れると思っていませんでした
—独立前の理想と独立後の現実にギャップはありますか?
幸せなことですが、自分のお店がここまで売れると思っていませんでした。もっと苦労するという前提でオープンしましたので。公庫に提出した事業計画書を見返すと1日60食を目指すって書いてあるけど、実際はその数倍も作っています。その嬉しいギャップがありますが、やっぱり体がしんどい。長く続けていくためには何か変えていかないといけない部分はあると思っています。
—では、脱サラする前より、お財布事情は潤ってらっしゃいますか?
まだオープンして4年しか経っていませんが、サラリーマン時代の4年目と比較すると、軽く倍くらいは良くなりました。
—4年目という短期間でそうなったのは、オープンのスタートダッシュが効いているってことでしょうか?
そうですね。それは大きいですが、それをキープする大変さを痛感しています。今、ひとりで仕込みをしている以上、現時点がマックスなんですよ。もっと作るには他の人に教えて、手を借りなきゃいけない。でもそうすると、自分のやりたいことができなくなっちゃうんですよ。この3年間で作っても作っても足りなくて社員を雇った時期もありますが、やっぱり違うなって思っちゃって、またひとりでやるように戻しちゃいました。
すべてが自分に跳ね返ってきて納得せざるを得ないというダイレクト感にやりがいを感じます
—今だから思う、独立前にやっておけばよかったことはありますか?
もっと早い段階からちゃんと貯金をしておけばよかったと思います。サラリーマンをやっていた時は余暇の時間が多くて飲み代や遊びに使っちゃっていました。もっと計画的に貯めていれば、出店を前倒しできたかもしれないし、もっといい物件を借りられたかもしれないです。独立を前提に飲食業界に戻ってからの給料だと貯蓄していくのは大変でした。
—では、脱サラに成功した理由をどう考えてらっしゃいますか?
製麺や味作りをひとりでこだわってやっていますが、お客さんはそういうところを直接見ていません。でも賞で評価していただいて、ちゃんと伝わっているんだって実感しました。自分が1番時間をかけてやっているところが伝わっているのは嬉しかったですね。手を掛けた分、ここまで反響として返ってくるとは思っていなかったのでありがたいです。
—では、自分のやりたいことを仕事にするのは、どんなところに魅力を感じますか?
はじめに話したように企業の評価制度に納得できなくて辞めて、今はお客さんが直接的に評価してくれる。そのすべてが自分に跳ね返ってきて納得せざるを得ないというダイレクト感にやりがいを感じます。これから個人事業主から法人化して何店舗も抱えるようになると、違うところに魅力を感じるようになると思いますが、社長になりたい訳ではないですしね。
—脱サラを考えている人に向けてアドバイスをいただけますか?
自分の責任だけで生きていける覚悟があるかどうか、だけだと思います。この業界は独立したい人がたくさんいますが、ほとんどの人ができない。さらに言えば、独立した人の中で30年、40年続けられる人が何割いるかって考えるとほとんどいません。10年続けられるお店が10%もないって言われているくらいです。だから、自分でお店を持つ覚悟より、何十年も先まで自分でやっていく覚悟があれば、どんな苦労があってもやるしかなくなります。精神論ですが、そこが1番大事だと思います。
Epilogue
大手通信会社からラーメンの道を選んだ樋上さん。本当にキツかったという修行時代を経たからこそ、強いメンタルを持って味を向上できているようだ。その姿はまさにストイックそのもの。お客さんを喜ばせながら上を目指そうという気持ちがひしひしと伝わってきた。それは脱サラした時に樋上さんが相当な覚悟を決めたからだろう。ある程度人気が出たら現状維持を求めてしまうが、樋上さんは違った。味を追求しながらすべての工程に一切の手抜きを許さず、こだわり抜いた1杯は値段以上の情熱が込められている。今の仕事を辞めて飛び込みたい業種を、40年先までやっていく覚悟があるか、絶やさず情熱を注げるか。それがあれば脱サラして、どんな逆境にぶつかっても乗り越えていけることだろう。
<CREDIT>
■樋上正径(ひがみまさみち)
1979年、大阪府出身。“地球の中華そば”を2014年10月に開業。毎年講談社より発刊されている、有名ラーメン評論家たちによる業界最高権威『TRYラーメン大賞』で“TRY新人大賞”を受賞して以来、3年連続入賞を果たす。息子の成長も仕事の原動力になっているそうだ。
■地球の中華そば
住:神奈川県横浜市中区長者町2-5-4 陽ケ丘ニュースカイマンション101
☎:045-319-4248
営:11:30〜15:00、18:00〜21:00(ラストオーダー)
定休日:月曜
PHOTO:TAKAHIRO KIKUCHI
TEXT:SHOGO KOMATSU